東京高等裁判所 平成元年(行コ)25号 判決 1990年8月08日
控訴人
新田ミヨ
右訴訟代理人弁護士
中野麻美
同
能勢英樹
同
黒岩哲彦
同
荒木雅晃
被控訴人
品川労働基準監督署長首藤章二
右指定代理人
同
村上昇康
同
新井克美
同
谷口信義
同
水元幸実
同
木崎芳春
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取消す。
2 被控訴人が昭和五五年六月一一日付けで控訴人に対してした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文第一項と同旨
第二当事者の主張及び証拠
原判決事実摘示第二、第三及び当審証拠目録(略)記載のとおりである。ただし、次のとおり付加訂正する。
1 原判決一一枚目表三行目冒頭から表九行目(本誌537号((以下同じ))53頁4段18行目から26行目の頭まで)の「そして」までを次のとおり改める。
「業務起因性があるというためには、業務と疾病との間に、相当因果関係が存することが必要ではあるが、その判断は、資本制生産の下で従属的地位にある労働者とその家族の最低生活を保障するという労働者災害補償制度の制度趣旨からすれば」
2 同一二枚目表四行目の「ことに死亡に近接した時期」(54頁1段18行目)を「そして、庄一郎が工事課長に就任して以来死亡するまでの間」と改める。
3 同一二枚目表五行目の「同人の基礎疾患」から六行目末尾まで(54頁1段20行目から21行目まで)を「同人に極限に近い疲労を蓄積させ、その動脈瘤を急激に増悪させていった。このことは、死亡に近接した時期の極度に過重な労働によって容易に推定される。」と改める。
理由
一 当裁判所は、控訴人の本訴請求は棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加訂正する外は、原判決の理由と同一であるからこれを引用する。
1 原判決二〇枚目裏四行目の「同肥後陽一」の次に「(ただし、後記の採用しない部分を除く。)」(略)を加える。
2 同二一枚目裏七行目の「営業担当者」(56頁2段10行目)を「社長又は営業部長」と改める。
3 同二二枚目表一行目(56頁2段17行目)及び五行目(56頁2段23行目)の「施行図」を「施工図」と改める。
4 同二四枚目表六行目及び八行目の「出席し」(56頁4段22行目・26行目)の次にいずれも「た他、必要に応じて現場に赴い」を加える。
5 同二六枚目裏八行目(57頁3段12行目)の次に、次を加える。
「なお、控訴人は、庄一郎が工事課長に就任する際、以前は二名が置かれていた工事課長が庄一郎だけに減員された結果、同人は従前の工事課長二名分の仕事を一人で負担することとなった旨主張し、証人肥後陽一の証言の一部にはこれに沿う部分が存するが、社内組織表―(証拠略)(<証拠略>はこれと同一)―、証人田中実、同神西克行の各証言に照らして採用できず、かえって、右各証拠によれば工事課長は従前から一名であったことが認められる。
また、控訴人は、電気工事業界においては、一人が担当できる現場の数は通常一、二か所であり、庄一郎の担当現場数はその常識を遙かに超えるものであったと主張する。右主張に沿う証拠として、弁論の全趣旨により成立が認められる(証拠略)中には、本件会社規模の電気工事業者では、その現場監督の受持ち現場数は一、二か所が限度である旨の記載が存するが、それは電気工事に従事したことのない者の意見であるから採用し難い。そして、前記認定のとおり、工事課長としての庄一郎の職務は自らが現場監督の地位にある現場以外では現場監督のそれと同一ではないこと、証人田中実の証言によって認められる庄一郎の前任者の担当していた現場数の状況及び各現場における業務の内容は庄一郎のそれと比べて差異がないことなどの事情に照らすと、右主張は採用できない。」
6 同二七枚目表八行目の「必要のある」(57頁3段28行目)を「他、更に必要に応じて赴く」と改める。
7 同三〇枚目裏九行目の「秀島徳彦」(58頁3段16行目の(略))の次に「、証人上畑鉄之丞」を加える。
8 同三一枚目裏一行目(58頁4段4行目)の次に、次を加える。
「なお、控訴人は、庄一郎が健康診断を受けられなかったのは、本件会社が従業員の健康管理に対する配慮が不十分で、過重な仕事を処理しなければならない庄一郎に対してその時間的余裕を与えなかったためである旨主張する。確かに、前掲各証拠によれば、本件会社の健康管理が十分なものではなかったことが窺われるが、以下に認定のとおり、庄一郎は課長就任後に何回も通院をしているで(ママ)あるから、業務のために健康診断を受ける時間的余裕がなかったということはできない(右通院のうちには庄一郎に代わり控訴人が薬を貰いに行ったことがあるとしても、右判断を左右しない。)。」
9 同三二枚目表三行目(58頁4段22行目)の次に、次を加える。
「なお、証人上畑鉄之丞の証言中には、剖検の際に動脈硬化がみられなかったとしても、それは顕微鏡検査が行われなかったためであろうとの部分が存するが、庄一郎の動脈硬化の有無については、同証人も、庄一郎の高血圧の程度等からすれば多少は動脈硬化が起こっていたかも知れない旨を述べるに止まり、顕微鏡検査をすれば当然動脈硬化を発見することができたとまで述べるものではない。」
10 同三二枚目表四行目の「脆弱性」(58頁4段24行目)を「先天的脆弱性とこれ」と改める。
11 同三二枚目裏一〇行目の「二年余は」(59頁1段17行目)の次に「、前記の通院以外には」を加える。
12 同三三枚目表二行目(59頁1段22行目)の次に、次を加える。
「もっとも、昭和五三年一一月ないし一二月の通院時における血圧測定の結果は、年齢に比してなお高い値ではあるものの、再入社間もない昭和五一、二年当時のそれより低く、しかも安定した傾向にあったものと窺われるが、これは本態性高血圧症によるものと推測される。」
13 同三三枚目表五行目から一一行目の(59頁1段25行目から59頁2段3行目)「そこで、」までを削除する。
14 同三三枚目裏四行目の「第二五」の次に「第三一、第三三、第三四」を、同行目の「第六号証」の次に「、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第一六号証」(略)をそれぞれ加える。
15 同三四枚目裏四行目の「第二八」の次に「、第三二」(略)を加える。
16 同三四枚目裏六行目の「ひいては」(59頁3段8行目)を「それによる」と改め、七行目の「招き、」(59頁3段9行目)の次に「ひいては」を加える。
17 同三四枚目裏九行目の「これは、」から三五枚目表三行目末尾(59頁3段12行目から19行目)までを次のとおり改める。
「前記のような先天的要因が存在しないのに、過労やストレスのみが直接の原因となって脳動脈瘤が形成されるということは考え難いものといわなければならない。しかし、前掲各証拠によれば、過労やストレスが既往の高血圧、動脈硬化等の基礎疾患を悪化させる要因の一つであり、その意味では、先天的要因が存在する場合には、過労やストレスは脳動脈瘤の形成、更には増悪、の要因の一つとなりうるものであることは明らかであるが、他方、先天的要因等が存在する場合の脳動脈瘤の形成及び増悪には疾病又は加齢による血圧上昇、動脈硬化、日常生活における血圧の変化、喫煙、飲酒、肥満等種々の要因が存在するのであって、過労あるいはストレスのみがその原因ということができないことも明らかであり、結局、問題は、脳動脈瘤の形成又は増悪に対するそれぞれの要因の寄与の程度がどのようなものであったかに帰することになる。なお、控訴人は、喫煙、飲酒等の生活習慣は、むしろ業務の過重な負荷からの逃避行動として生じるものであるから、そのような生活習慣の背景にある業務負荷の過重性に着目すべきである旨主張し、成立に争いのない(証拠略)及び証人上畑鉄之丞の証言中にはそれに沿う部分が存するが、庄一郎の喫煙、飲酒は本件会社への再入社以前からのものであり、かつ、その後その摂取量等に特段の変化がないと認められるから、右主張はその前提を欠き、採用できない。」
18 同三五枚目裏五行目から三六枚目裏九行目(59頁4段6行目から60頁1段14行目)までを次のとおり改める。
「労働者災害補償保険法第一条にいう「業務上の事由による労働者の……死亡」に該当する場合及び労働基準法第七九条にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは、労働者が業務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と業務との間には相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない、と解すべきである(最高裁判所昭和五〇年行ツ第一一一号同五一年一一月一二日判決・裁判集民事一一九号一八九頁参照)。そして、右の相当因果関係の存在の立証責任については、労働者災害補償保険法に基づく保険給付の請求の場合においても、不法行為や債務不履行による損害賠償請求の場合と別異に取扱うべき理由はないものと解すべきであるから、一般原則に従い、保険給付を請求する被災労働者側において立証責任を負うものと解すべきである。そこで、本件のように、業務と疾病との間の相当因果関係が問題となる場合に、これを判断するに当たって考慮すべき幾つかの事項について検討する。
先ず、右の業務の程度は、業務に関連する突発的かつ異常な出来事による疾病の場合を除くと、疾病の原因となる程度であることを要する訳であるから、当該労働者の「日常業務」(通常の所定就労時間及び業務の内容)ではなく、それより重い業務でなければならない。しかも、日常業務に比較して「かなり重い業務」という程度では足りず、疾病の原因となり得る程の「特に過重な業務」に就労したことを要するものというべきである。
次に、特に過重な業務であるかどうかの判断に当たっては、死亡当日や死亡前一週間の状況のみではなく、日常業務に比べて重い業務への就労期間が相当長期にわたる場合は、右期間全体の状況を検討して決すべきである。しかし、重い業務への就労が一定期間継続した場合に、そのことが当然に発症や死亡の原因となると推認するべきであると解するのは合理的ではない。相当因果関係の有無は、事例毎に、業務の重さの程度や疾病の種類を総合的に考慮して判断するべきである。
更に、業務に基づく疾病による死亡の場合とは、就労前から疾病の基礎的要因を有していたか否かにかかわらず、就労後に業務に基づいて発症し、それに起因して死亡した場合のみならず、既に就労前から疾病を有していたが業務に基づいてそれが増悪されて死亡に至った場合をも含むものと解すべきである。
そして、右の発症ないし増悪について、業務を含む複数の原因が競合して存在し、その結果死亡するに至った場合において、業務と死亡との間に相当因果関係が存在するというためには、業務がその中で最も有力な原因であることは必要ではないが、相対的に有力な原因であることが必要であり、単に並存する諸々の原因の一つに過ぎないときはそれでは足りないというべきである。」
19 同三七枚目表九行目の「量的にみて。」(60頁1段30行目)の前に「日常業務に比較して、」を加え、一一行目の「従前に比し」(60頁2段1行目)を削除する。
20 同三八枚目表一行目の「号証」の次に「及び証人上畑鉄之丞の証言中」(略)を加える。
21 同三八枚目裏六行目の「基礎疾患」(60頁3段11行目)の次に「等」を加える。
22 同三八枚目裏九行目から三九枚目表七行目まで(60頁3段14行目から27行目まで)を次のとおり改める。
「(二) 以上の事実関係の下では次のように考えるべきである。先ず、庄一郎の脳動脈瘤の形成は、庄一郎の有していた血管の脆弱性等の先天的要因に、高血圧や加齢による血圧の上昇等の後天的原因が加わったことによるものである。庄一郎の従事した業務が脳動脈瘤の形成の後天的原因の一つであると認めるに足りる証拠はない。次に、このようにして形成された庄一郎の脳動脈瘤は、前記のような数多くの基礎疾患等とこれに対する本人の健康管理の不十分さに業務負荷が加わって増悪し、遂には破裂するに至ったものと認めることができる。しかし、庄一郎の業務は、死亡当日や死亡前一週間のみではなく工事課長就任後死亡までの約七か月間を総合的に考察してみても、日常業務に比較して、かなり重い業務であったということはできるが、特に過重な業務であったとまでは認めることができない。結局、庄一郎の業務は脳動脈瘤の破裂の複数の原因の一つであったということはできるが、その中で相対的に有力な原因であったとまで認めることはできない。従って、本件においては、庄一郎の業務と死亡との間に相当因果関係を認めることはできないというべきである。」
23 同三九枚目表七行目(60頁3段27行目)の次に、次を加える。
「なお、控訴人は、庄一郎が夜間一人で残業し、会社の便所でくも膜下出血を起こし、救助の機会を奪われたまま死亡したことは、医学的には大いに救命の可能性がある初発のくも膜下出血により死に至らされたものであって、庄一郎の恒常的残業を放置し続けた本件会社の健康・安全配慮義務懈怠によるものであるから、庄一郎の死亡は明らかに業務上災害であると主張するかのようであるが、どのような勤務体制をとるかは原則的に各会社の経営上の考慮に委ねられているのであり、前記認定の事実関係の下では、本件会社が庄一郎に一人で残業するのを許していたことをもって直ちに健康・安全配慮義務懈怠につながるものということはできないのみならず、たとえ庄一郎が脳動脈瘤破裂の直後に発見されて手当を受けたとしても救命の可能性があったと認めるに足りる証拠はないから、右主張は採用することができない。」
二 以上のとおり、原判決は相当であるから、行訴法七条、民訴法三八四条により、本件控訴を棄却する。
訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法九五条、八九条適用。
(裁判長裁判官 武藤春光 裁判官 吉原耕平 裁判官 池田亮一)